ちあきなおみ 雨に濡れた慕情

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ちあきなおみ 雨に濡れた慕情 吉田旺との出会い

コロンビアレコード専属歌手『ちあきなおみ』をデビューさせるべく、瀬川三恵子を預かっていた作曲家鈴木淳は、ポップス系の歌をメロディ先行で曲を書き始めていました。
「♪ミシタシラシラドー、♪ミシラシラドラミー♪」・・・
ピアノに向かって弾いてみると、「よし!」となり、一気に書き上げました。

さて、歌詞をつけなければなりません。
どの作詞家にお願いしようか考えあぐねていた折り、恩人でもある知人からある一人の新人作詞家の紹介を受けます。
この作詞家こそ、後にちあきなおみとは切っても切れない関係になる、吉田旺でございました。
曲作りに際し、鈴木淳と吉田旺による幾度かのキャッチボールの末に、ちあきなおみのデビュー曲『雨に濡れた慕情』は完成するのでございます。

瀬川三恵子から「演歌のコブシ」を取るレッスンを重ねたやり方は、まず鈴木がワンフレーズを歌い、彼女がその歌い方をなぞるように真似して歌う。
イメージ通りに歌えないときはそれを繰り返して何度も修正すると言う方法でありました。
やがて自然と鈴木淳の頭の中には、『ちあきなおみ』の声が刻まれておりまいた。

『雨に濡れた慕情』が完成した時には、鈴木淳の中で、『ちあきなおみ』がイメージ通りにこの歌を歌っていたのでした。
レッスン同様に、鈴木がまず歌い、ちあきなおみがなぞって歌う。
ワンコーラス通したあと、二人で顔を合わせて微笑むことができました。

実はちあきなおみのデビュー曲はもう1曲候補がありました。
『かなしい唇』という、コブシのない演歌風の曲でした。
当時のレコードは、A面とB面があり、どちらをA面にするかなかなか結論が出なかったため、両A面にしようかと言う方針もあったのです。
しかし、この『雨に濡れた慕情』の出来栄えに、こちらがメイン曲に決まったのです。
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この瞬間、同席し盛り上がっていた関係者ですが、実はその時はすでに所属プロダクションも決っており周囲の期待の大きさがわかりました。
因みに、この事務所にいた事務の女性は、コロンビアレコードの坂田部長の姪で、後の吉田旺夫人となった人でした。
この時代ならではの話ですが、無事、歌手『ちあきなおみ』が出発したのでした。

特集:ちあきなおみをもう一度

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