伊東四朗 ベンジャミン伊東と小松の親分

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伊東四朗 ベンジャミン伊東と小松の親分

電線音頭って?  デンセンマンって?

四朗ちゃんが大ブレイクした番組知ってる?
みんな知ってるわよね。
『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』ね。1976年から始まったのね。
まっ、これまで伏線もあったんだけど。

戸塚睦夫ちゃんが亡くなってから、”てんぷく”での活動を抑えていたころ、三波伸介ちゃんは司会とかでテレビで見ない日はないくらいだったのね。
で、四朗ちゃんはって言うと、小松政夫ちゃんと共演しだすのよ。
これが受けてね。
最初に共演したのは、TBSテレビの土曜日の昼の時間帯『お笑いスタジオ』だったわ。1970年から3年間くらいかしら。

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コンビ組んでたのって言う人いるけど、コンビじゃないのね、あくまでも共演。
で、四朗ちゃんと政夫ちゃんのコンビ芸が確立したのが、1975年昭和50年の『笑って!笑って!60分』ね。
これもTBSで、同じ土曜日の昼間の番組。
二人はメインじゃなかったけど、あたしからすれば、この二人ぐらいしか見るとこなかったわ。
だって、テレビでこんなに本気でコントやる人がいなくなっていたんだもん。
なぜかわからないけど、落ち込んでいる親分の政夫ちゃんを、四朗ちゃんが慰めようと、「ズンズンズンズン、3、4、小松の親分さん!」ってやるわけ。
これに乗せられた小松の親分が「ニンドスハッカッカ!ヒジリキホッキョッキョ!ガーッチャマンに負けるな、負けるなガーッチャマン!」って。
今でも意味わかんないわよね。
なんでも政夫ちゃんの小学校の時の先生が言っていた言葉らしいけど。

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そして、翌年1976年、こんどはテレビ朝日ね。日曜日夜8時から、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』。
デンセンマンって今でも訳が分かんないわ。
当時人気絶頂のキャンディーズが中心の番組だったけど、あの子たち途中で解散しちゃってからは、四朗ちゃんと政夫ちゃんの爆笑番組になったのね。

急に来たんだって、その企画。
番組のプロデューサーが来て、いきなり「伊東さん、今度”電線軍団”と言うのを作ります。伊東さんが団長で、小松さんがサブ、あとザ・ハンダースとキャンディーズで。お願いしますね。」って。
オンエア2週間前よ。
四朗ちゃん、何が何だかわからなくて、キョトンとしてたらしいわ。

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結局追い詰められて、開き直って。
コスチュームとか設定はおまかせってわけで、じゃぁ、ハチャメチャやってプロデューサーもあきれるほどになって、すぐに打ち切ってもらおうって。
四朗ちゃん、考えたわけ。

自分で台本に絵を描いて、髪の毛はボサボサで逆立ててリボンつけて、電気で感電したようにしてね。
髭はダリみたいに頬っぺたまでに伸ばして、眉毛はうーんと濃くして。
衣装はサーカスの団長風でキンキラキン。
まー、要するに誰がやっているのかわからないようにしたわけ。
本人曰く「自分隠し」ですって。
名前も「ベンジャミン伊東」しにしたけど、本当は「ベンジャミン」「ヤコブソン」「ジャッキー」の三候補があったんだって。あっ、あと「ラスプーリン」もあったかな。
踊りはどうかっていうと、一流の振付師が来たらしいけど、難しい振付をやらされたんじゃかなわないって、これも自分で勝手に作ったって話し。

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こんだけバカバカしくやれば3、4回で企画がつぶれると思ったらしいのね。
ところがこれが思惑外れで大ブレーク。
プロデューサーの小林信彦さんや、俳優の藤田まことさんからは、「すごいこと始めたけど、あんた、大丈夫?」って真顔で心配されたらしいわ。
四朗ちゃんがキレちゃったって思われたみたい。
今でもVTR見ると、完全に「目」がイっちゃってるもんね。

まず、お決まりの東八郎ちゃんがちょっとオカマっぽい踊りのお師匠さんになってキャンディーズとハンダーズに日本舞踊を教えているのね。
すると、いきなり「軍艦マーチ」が鳴り響いて襖がバッて開くの。
そこに電線軍団の団長「ベンジャミン伊東」と司会役の「小松与太八左衛門」の登場ってわけ。
あっけにとられているキャンディーズとハンダーズに「支度をせんか、支度を!」ってベンジャミン伊東が叫ぶのよ。
コタツと「電線音頭」って書かれた軍団旗がセッティングされると、みんなでファンファーレの真似すんの。
「ミンミミミーン、ミンミンミン、ミンミミミーン」って。

すると今度はベンジャミン伊東の顔がアップになって

 人の迷惑かえりみず、やってきました電線軍団!(イントネーションがポイント)

 それでは当軍団の名物司会者、キンキラキンのタイル貼りをご紹介しよう。

 それ、いってみれ~!

ここから小松与太八左衛門の司会よ。

 ウワォー、ウワォー!

 センキュー、センキュー!

 本日はニギニギしきご来場、誠にありがとう、ご!ざいます

 大変、長らくお待たせを、いたしました!

 あたくし、四畳半のザット・エンターテイメント、小松与太八左衛門でございましゅ~!

 歌は流れるあなたの胸に

 今、歌謡界の王者にさーんぜん(燦然)と光り輝く、お待ちどう様!

 電線音頭の登場です~!

 では、ベンジャミン伊東からいってみよう~!

毎回これだもんね。
で、ベンジャミンが踊った後で次の人に

 それでは次、こいつから行ってみよう!

ってだれかを指名するわけね。
するとキャンディーズのスーちゃんかなんかがコタツの上に乗っかって踊りだすのよ。
みんなの大合唱に合わせてね。

 チュチュンガチュン

 チュチュンガチュン

 電線にスズメが三羽とまってた

 それを猟師が鉄砲で撃ってさ

 煮てさ 焼いてさ 食ってさ

 ヨイヨイヨイヨイ オットットット

 ヨイヨイヨイヨイ オットットット

もう、狂気の沙汰よね。
なんてったって四朗ちゃん、この時40歳過ぎてたんだから。
当時、家庭のコタツの足が壊れる事故がたくさんおきて、学校で電線音頭禁止令が出たくらいなのよ。
どんだけ流行ったかわかるでしょ?

特集:伊東四朗劇場

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