桜田淳子 中島みゆきとの出会い

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「しあわせ芝居」

1977年11月5日にリリースされ、36.5万枚を売り上げ、オリコン3位に躍り出て、第20回レコード大賞金賞を受賞しました。

作詞・作曲は今までと全く違った中島みゆきです。

この年の春に高校を卒業し、同時に「花の高三トリオ」も卒業しました。
多分に路線変更を模索していた時期なのでございましょう。

本人に備わる生まれ持った「アイドル性」を武器に、明るく元気よく歌を披露して来た桜田淳子にとって、大きな試練だったと思います。

この曲、かなり難しい歌ですね。
1オクターブの音程が行ったり来たり。
息つぎをする箇所もないくらい大変でした。
もはやアイドル歌手の歌ではありません。
多分、中島みゆきの作った曲を研ナオコが歌うと言うイメージに近いでしょう。
しかしイメチェンの戦略としては成功しました。
明るいキャラを封印して顔の表情まで曲に合わせて、桜田淳子にしてみればとても試練だったと思いますが、ここで彼女は何かを掴んだでしょう。

でもこの時19才ですよ。
今の若い歌手からは想像がつかないですね。

だからこそオリコン100位以内に19週もランクインできたのだと思います。

「追いかけてヨコハマ」

中島みゆきとのタイアップ第2弾

前作「しあわせ芝居の3ヶ月後、1978年2月25日リリースされました。
オリコン11位、16.4万枚の売上でした。

0012.中島みゆき2

このころからベスト10からもれ始めます。
彼女がどうというよりも、時代が変わってきたのでございましょう。
歌謡曲からJ-POPへ移って行く中、トレンドが変わっていったのだと思います。

桜田淳子はのちに、中島みゆきさんから曲をもらえるなんて思わなかったと言っています。
「桜田淳子」と言うキャラクターではなく、アイドル歌手としての人気よりも楽曲が勝ってほしいと。
この曲での表現は、後にステージを移す女優としての「演技力」のきっかけになっていったことでしょう。

今までの若い男性ファンばかりでない、女性ファンを歌に共感してファンが増えていきました。

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