ワインの歴史

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ワインの歴史

『ワインの誕生』

ワインはブドウから作られますね。
人類が生まれたのは、今から約2000万年前ですが、実はブドウは約6000万年前には、今と同じ形の実をつけていたそうです。
ひょっとして、人類が初めて食べた果物かも知れません。

ワインには、ブドウに加えてもうひとつ大切なモノがあります。

「酵母」

発酵に必要である酵母は、35億年ほど前からこの地球上に存在していたと言われています。
更にブドウの実の皮には自然に酵母が付着していて、果汁を搾れば、そのまま発酵するという用意が整っていました。
そして、そのブドウの実が地面に落ちて潰れ、果皮についていた酵母によって発行したのがワインの起源と言われています。

ワインについての最古の文献は、紀元前2000年ごろにメソポタミアで書かれた「ギルガメッシュ叙事記」と言う資料で、紀元前5000~4000年前のメソポタミア文明の頃のことを書いたものです。
実際に、紀元前4000年ごろののメソポタミア文明の遺跡から、果汁を搾る石臼が発見されています。
また、恐らくワインを作るであろうブドウの木を栽培していたことも確認されています。

メソポタミアは、今で言うイラク辺りになります。
ワインの本場、ヨーロッパでのワイン作りはもっと後になってのことでした。

一方、紀元前3100~1500年の古代エジプト王朝のピラミッドの壁画にも、ブドウ栽培やワイン醸造の様子が描かれており、紀元前1800~1700年に制定されたと言われている「ハムラビ法典」には、ワインの売買に関する法律が記載されており、ワインが日常的に飲まれていたことがわかります。
しかし、古代エジプトでは、ワインは王族と主君のもの。
庶民の間にワインが普及するのは、紀元前1500年以降、ギリシャやローマに伝わってからになります。

『古代・中世ヨーロッパのワイン』

0011.ワインの歴史 2

「このパンはわが肉、このワインはわが血」
紀元30年に、イエス・キリストが処刑される前日に12人の弟子たちと食事をした「最後の晩餐」。
この時キリストはこの言葉を残しました。
「キリストの血」と言われたワインは、キリスト教にとって必要不可欠のものになっていくのでした。

メソポタミアから始まったワインは、紀元前1500年ごろにクレタ島、エーゲ海を渡り、ギリシャへ伝わりました。
ギリシャ神話に出てくる酒の神バッカス神話となって、神からの神聖な飲み物として扱われるようになりました。

古代ヨーロッパを支配したローマ帝国。
そのローマ帝国のジュリアス・シーザーが紀元前58年から開始したガリア(今のフランス)征服によってワイン作りはフランスにもたらされます。
そして西ローマ帝国がヨーロッパ全土に勢力を広めていく過程で、ワイン作りもヨーロッパ中に広まりました。

476年に西ローマ帝国が滅亡し、時代は古代から中世へ移ります。
768年にフランク王国の王となったシャルルマーニュ(カール)大帝は、ワインを奨励しました。
また、彼はキリスト教を正教として統治をおこなったので、ヨーロッパ全域にキリスト教が広まりました。
そこで、前述した「キリスト教には不可欠の大切なワイン」が、キリスト教の布教と共にヨーロッパの人々の中に浸透していくのです。
自分たちにとって大切な大切なワインは、自分たちで作ると言う考えが広まり、このころのワイン作りはキリスト教の修道院が中心でした。
各地、各都市の修道院がワイナリーとなったのでした。

『世界に広がるワイン』

15世紀、ヨーロッパは大航海時代に入ります。
スペインとポルトガルを中心に、人も物もにぎやかに往来し、貿易が盛んになりました。
また、各国が競うように世界各地に船を出し、植民地を手中に収めるようになったのです。
この大航海時代に、各国の大きな船には大量のワインが積まれ、世界中にワインが広まっていきます。
ブドウの栽培に適した地は、世界各地にありました。

ヨーロッパワインが最初に到着したのは、南米チリでした。
16世紀の前半に、チリはスペイン人に征服され、キリスト教の布教と、その聖祭で使われるワイン作りが盛んになり、修道院や教会から、一般庶民にも浸透していきました。
チリのブドウ栽培の父と呼ばれる、シルヴェストーレ・オチャガビアと言う人物が、フランスからカベルネ・ソーヴィニョンという品種をはじめ、多くの高級品種を輸入し、栽培を始めました。
そのため、今でもチリワインには高級品種が多くあります。

チリと同時期に、スペイン人がアルゼンチンにワインを伝え、16世紀半ばにはフランス人の移民がアメリカのフロリダに、修道僧がカルフォルニアに伝え、ワインの醸造を始めます。
南アフリカには、オランダの植民地になった1652年から数年後、ワインの生産が始まります。
オーストラリアには、イギリスから醸造技術がもたらされ、これで一通りの世界各国のワインの生産地が出そろうのでした。

『日本のワイン』

0011.ワインの歴史 3

日本へは室町時代にはワインはもたらされていました。
ブドウの栽培は江戸時代から行われていましたが、生食用果物が主で、ワイン用ブドウの割合は約10%弱。
日本で初のワインが作られたのは明治時代に入ってからでした。
1877年、日本初のワイナリー、大日本山梨葡萄酒会社(現メルシャンの前身)が設立されます。
戦後の高度成長時代からは、何度となくワインブームが押し寄せ、山梨県内に多くのワイナリーが設立され、国産ワインの本格的製造がはじまります。

2005年、山梨県の塩山市、勝沼町、大和村が合併し、「甲州市」になります。
市のマークはブドウをモチーフにされ、奇しくも日本の代表的ワイン用ブドウの品種も「甲州」。
日本は、ブドウの実が成熟する夏の時期には高温多湿の気候であり、ブドウ栽培には向いていません。
しかし山梨県は、降雨量が少なく、水はけも良いときています。
この甲府盆地は昼夜の温度の寒暖の差も大きく、国内では数少ないブドウ栽培の適地でした。

その日本の「甲州ワイン」が世界一にまで上り詰めるのです。
2013年香港で開催されたアジア最大のワインコンクールで「グリド甲州2012」が金賞を受賞しました。
大手ワイン製造会社の醸造責任者から「日本のワイン作りには厳しさがない」と指摘を受け、中央葡萄酒の社長が厳しさをもとめ、外に目を向けました。
日本の国産ワインを海外に輸出しようと考えたのです。
海外で勝負して、己を鍛える。
日本固有のブドウ品種である「甲州」種で一番になりたい。
そんな思いが彼を突き動かし、思いに加えて精力的な動きにより金賞受賞を成し遂げたのでした。

和食が世界無形文化遺産に登録され、世界の人々が和食と一緒に甲州ワインを楽しむことを夢に見ているに違いありませんね。

特集:ワインの教科書

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