明治日本の産業革命遺産にも使われた日本最初の赤レンガ ハルデス煉瓦

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明治日本の産業革命遺産にも使われた
日本最初の赤レンガ
ハルデス煉瓦

赤煉瓦と言うと何か温かみのある建築物を思い浮かべます。
港町にはいろいろなレンガ建築が並び、郷愁を帯びた風景を醸し出しておりました。
この赤煉瓦、いつ生まれたのでしょう?

時を遡ること安政年間。
ところは九州の長崎でございます。
長崎飽ノ浦に官営長崎溶鉄所、後の三菱重工業長崎造船所を建設するために煉瓦が必要となりました。
工場の煙突や機密を保つ塀を構築するのに、膨大な煉瓦が必要になったのです。
この赤煉瓦の製作技術は日本にはありません。
煉瓦自体はこれよりも10年ほど前に大砲を鋳造するために反射炉用の耐火煉瓦を作ってはおりましたが、建築用の赤煉瓦はこの長崎で作られたのです。

赤煉瓦の生産の指導にあたったのが、オランダ人技師のヘンドリック・ハルデスという人なのです。
当時の幕府の要請で1857年に長崎に来日しました。
まず原料となる土を求め、長崎近郊や離島にまで調査に廻りついに長崎港口の香焼で見つけたのです。

現在の煉瓦の大きさは長さ21cm、幅10cm、高さ6cmが標準です。
ところが当時の煉瓦は高さが4cmしかありませんでした。
薄くて扁平なところがコンニャクに似ており「コンニャク煉瓦」とも呼ばれたのでした。

なぜこんなに扁平なのか?
当時の製造は瓦職人によって作られたから瓦の形状が基本だったという説と、外国の煉瓦の規格だと日本人には大きすぎて製造も積み上げる施工も難儀だったからという二つの説がございます。

はてさて、このコンニャク煉瓦の扁平な形状がのちに風情あるものに変わるのです。
海辺の建物の壁や街中の塀などに使われ、長い年月で風化すると扁平なだけに角が丸くなり、もともと大きさも不揃いな煉瓦壁に何とも言えない表情を与えたのでした。

こんな生い立ちを持つ赤煉瓦は生産指導者の名前を取り「ハルデス煉瓦」と呼ばれておりました。
長崎の旧グラバー邸の床にも小端立てに敷き詰められたコンニャク煉瓦を見ることができます。

2000年に日蘭交流400周年のイベントがあった時に、三菱重工業長崎造船所は自社の史料館に保管されていたハルデス煉瓦の成分を調べ、ほとんど同じものを復刻させました。
全部で5個のみの製造でしたが、縁あって筆者の手元にそのうちの一つがございます。
赤煉瓦と言われていますが、何とも言えないオレンジ色の扁平煉瓦でございます。

0001.ハルデス煉瓦2

また、一般に使うためにこれとは別に建築資材としての復刻版ハルデス煉瓦も製造されました。
現在長崎市内の出島バイパス高架下に煉瓦塀に見ることができます。
このハルデス煉瓦、煉瓦の側面にハルデスさんの横顔が刻印されております。
ちなみに刻印の並べ方のレイアウトは筆者に依頼されました。

0001.ハルデス煉瓦4 0001.ハルデス煉瓦3

さて、ここには何人のハルデスさんがいるでしょうか?
長崎でこのあたりを散策する折にはちょっと探してみてください。

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