350年の伝統がもたらす現代の技・心 会津本郷焼

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350年の伝統がもたらす現代の技・心 会津本郷焼

山に囲まれた会津地方。
山国会津の地で貴重なタンパク源として重宝がられた身欠きにしん。
山椒が芽吹く春から夏にかけて、各家庭ではこの身欠きにしんと山椒の葉を重ね合わせ、しょうゆと酢、酒、砂糖に隠し味を入れて漬け込んだものが会津名物のにしんの山椒漬けです。
そのにしんを漬け込むときにに使われた「にしん鉢」が伝統の技術「会津本郷焼」で作られているのです。
この地方の嫁入り道具のひとつとされておりました。
さて、そんな会津本郷焼とはどんなやきものなのでしょう。

【会津本郷焼の歴史】

会津本郷焼は、福島県会津美里町(旧会津本郷町)周辺を産地とする陶器及び陶磁器でございます。
もともとは瓦焼から始まりました。薩摩の瓦工を呼んで鶴ヶ城の屋根瓦を製造させました。
17世紀中ごろに瀬戸から陶工を呼び寄せ、陶器を焼き本格的にやきものの基礎を築いていったのでした。
会津本郷焼には、このどっしりとした民芸陶器と、後に有田焼、京焼の製法が伝わった磁器の二つがございます。
この磁器の誕生にも歴史がありました。
1770年頃に本郷村に良質な原土が発見されると、藩は江戸から陶工を招いて磁器を作らせようとしました。
しかしそんなに簡単にいきません。
やがて陶工・佐藤伊兵衛がその焼成法を身に着けるため西の窯業地を回り、有田に潜入して命がけでその技術を習得しました。
悲願の磁器焼成成功は1800年のことでした。
瓦焼と言い、陶器と言い、磁器と言い。
全国の有名やきもの産地から陶工を招いてこの地に技術を定着させるという藩の意気込みは大変なものでございました。
しかし、戊辰戦争による打撃や、近代化の流れ、町中が焼野原になった大正の大火など、ことごとく阻むものが現れて会津本郷焼は衰退していきました。
再び日の目を見るようになったのは昭和30年代のこと。
ブリュッセル万国博覧会で、宗像窯の鰊鉢がグランプリを受賞したことがおおきな後押しになったのです。
会津本郷焼は、民芸陶器の地位を確立し現代へ引き継がれております。

【会津本郷焼の特徴】

ひとつは「土の厚み」。
日用雑器のにしん鉢やこね鉢、甕などは器も分厚くどっしりとした存在感がございます。
そしてもうひとつの特徴が「釉薬」。
自然の木灰を使った文字通り飴色の光沢を放つ飴釉、白濁色の藁灰釉を掛けた器は素朴で力強さを主張します。
この二つの特徴の重ね合わせが民芸等としての会津本郷焼たる所以でありましょう。
シンプルな形に伝統的な釉薬をかけた民芸陶。
丈夫で温もりのある実用性の高い器として広い用途で用いられております。
藩が切望して切り開いた磁器は、この陶器の対極に特徴がございます。
可愛らしい色絵や染付、白磁。
皿類、急須、湯呑などの日用雑器が中心ですが、模様は花鳥画や幾何学文様が青、赤、あるいは金色でデザインされています。

お買い物の際には、まずは陶磁器会館で全窯元の作品を見てみましょう。
各窯元にはそれぞれ作風がございます。
お気に入りの窯元が見つかりましたらそちらへお出かけください。
八代続く伝統ある「宗像窯」。
会津本郷焼1

椿の染付がよろしければ「富三窯」。
会津本郷焼2

きっと大事にしたくなる逸品が見つかりますよ。
小腹が空いたら地元の蕎麦屋でどうぞ。
そば猪口や薬味入れにも会津本郷焼を見ることができます。

【窯元】

○宗像窯
 福島県大沼郡会津美里町字本郷上甲3115番地
 0242-56-2174
 http://www.munakatagama.net/

○富三窯
 福島県大沼郡会津美里町新町176
 0242-56-3033
 http://misatono.jp/h-member/tomizou

参考文献
『やきものの事典』/成美道出版
『やきもの全国有名窯場』/南大路豊/株式会社西東社
『やきものの基礎知識』/前山博志/株式会社学習研究社
『やきものの旅「東日本」』/安藤典子/日本写真印刷株式会社
『やきものの旅「西日本」』//日本写真印刷株式会社
『中島誠之助のやきもの鑑定』/中島誠之助/株式会社双葉社

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