相本久美子 この人から白いギターを貰いたかった

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相本久美子 この人から白いギターを貰いたかった

日本テレビ系列で日曜日お昼時に放送されていた「TVジョッキー」。
その番組内の「奇人変人コーナー」で参加した視聴者に贈呈されていた白いギターとエドウィンのジーンズ。
日本中の若者の憧れでした。
そしてもうひとつの憧れ。
そうです。その贈呈をしていた人こそ相本久美子でした。
この番組のアシスタントとして、初代児島みゆきから数えて四代目になります。
健康的なプロポーションにミニスカートはとても素敵でした。
足の長さはもちろん、彼女は手も長く、こういうのを「均整がとれたスタイル」と呼ぶのでしょう。

見た目のイメージ通り、運動神経も抜群に良く、芸能人の運動会でも活躍したのは当然のことでございます。
1977年芸能人紅白大運動会では走り高跳びで1m30mをマーク。
1979年のオールスター秋の大運動会でも走り高跳びでマッハ文珠を押さえて優勝しました。
1980年第19回紅白大運動会は100m走で1着と、美貌に加えてカッコよさも備えていましたね。

お嬢さんぽさがあり、実際に頭の回転も早く、番組でも機転の利く動きをしていたことは更に魅力を増すものでございます。
学校のクラスにいたら絶対に好きになっていたことでありましょう。
0003.相本久美子2

更に最近の出来事で、彼女を改めて素敵と言えることがございました。
今は人気番組となりました「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」。
彼女は第2回目にマドンナとして出演しております。
最近ルイルイ仕切り術師・太川陽介が何かの記事で申しておりました。

第2回目の旅は東京の日本橋をスタートして京都の三条大橋がゴール。
その途中の静岡あたりだった時のこと。
バスもなくその日どこに泊まるかもキツくなってきた時にディレクターが来て、「ここだけ、ロケバスで移動しますか?」と太川陽介に相談したそうです。
とても重要な事なので、ひとりで決めるのではなく、3人が納得したうえでの行動をとりたいからと、蛭子さんと相本久美子の3人で話しあった時の結論。
相本久美子の言葉です。
「今はインターネットとかも発達しているから、ズルをしてそれがバレたりしたらすぐに広まる。そうなったらすごく悔しい。だからロケバスには乗らない!」
この一言がこの番組の方針と言うかルールが決まったんですね。
残念ながらこの回はゴールするに至りませんでした。
でもこれが相本久美子でございます。

彼女は『小さな抵抗』で歌手デビューした当時は芸名を「近藤久美子」と名乗っていましたが、途中で改名しました。
相本と言うのは本名なんですね。

もちろん男性雑誌を幾度もにぎわせていたのは言うまでもありません。
昔を思い出すうちに当時の彼女の姿が脳裏に浮かびますね。
今でも素敵なのはご存知の方もいらっしゃると思います。
2012年にお孫さんが誕生されてことはおめでたいことですが、我々としては耳にしなかったことにいたしましょう。
相本久美子がお婆ちゃんとはどうしても認めたくはありませんので。

この動画、当時の相本久美子を存分に堪能できるでしょう。

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