桜田淳子 アイドルがアイドルであった時代

スポンサーリンク

桜田淳子 アイドルがアイドルであった時代

人前で何かを演じるのが好きでした。
学芸会では常連で、将来の夢は「女優」。
そんな中学2年生の少女が、欠かさず見ていたテレビ番組「スター誕生!」で自分と同い年の森昌子がグランプリに輝いたのを見て、なにかふつふつと湧き上がるものを覚えたのでした。

桜田淳子

秋田県秋田市の普通のサラリーマンの家庭に生まれ、普通に中学校に通う普通の女の子。
少しだけ違ったのは、その番組で秋田地区でオーデションがあることの字幕スーパーを見た時でした。
両親にも誰にも相談することなく、迷わずはがきで応募し当然のようにオーデション会場に向かった行動力でした。

この行動力こそが、「アイドル」へのスタートだったと言っていいでしょう。

0001.スター誕生8

桜田淳子 スター誕生!

1972年7月9日、「スター誕生!」秋田予選大会が行われました。
予選会には普通萩本欽一は参加しませんが、まれに「スター誕生!」の舞台裏を番組にする目的で参加することがあり、この時に桜田淳子は会場のセントラルデパートで欽ちゃんと初めて出会ったのでした。

25社上がったプラカードは、当然25社のスカウト交渉を意味します。
決勝大会後、後楽園ホールの中華料理店で本人・両親・日本テレビ関係者の前には、各社のスカウトマンたちがひしめき合い、揉め毎が起きるほどの状態でした。
そこで全員でルールを決め、1社3分間、契約金の話はしないという条件で進められました。

9番目に交渉に当たったサンミュージックの当時専務取締役だった福田は、手に持っていた森田健作のドラマの台本を見せ、「もし内に来ていただけたら、妹役として森田健作とドラマの競演があるかもしれませんよ」と話したところ、桜田淳子は実は大の森田健作のファンとわかり、サンミュージック入りに気持ちが大きく傾いていったそうです。

0002.天使も夢見る3

桜田淳子 天使も夢見るでデビュー

アイドル「桜田淳子」を存分に披露し、ファンを魅了し始めた彼女には欠かせない存在がありました。
「スター誕生!」決戦大会から彼女を見ていた人がいたのです。

0003.阿久悠1

桜田淳子を確立させた阿久悠

幸運にもオーディション会場に来たときから審査員として縁があった作詞家阿久悠のおかげで、桜田淳子は本格的歌手の仲間入りを果たします。

0004.私の青い鳥2

桜田淳子 私の青い鳥で日本歌謡大賞新人賞 日本レコード大賞新人賞

クック クックは流行りましたね。
右手の人差し指を振りながら歌う様は、やはり数多く受賞したおかげでテレビの露出は増えた影響があるのでしょう。
この勢いが、次の曲に続きます。

0005.花物語1

桜田淳子 花物語 オリコンチャートで初のベストテン入り

さて、この曲4「花物語」で気を良くしたのか、同じ阿久悠・中村泰士コンビで続編のような曲「三色すみれ」を発売します。
この2曲のもの悲しげな曲が続いた後、明るい路線を出しました。

0006.黄色いリボン3

桜田淳子 黄色いリボン NHK紅白歌合戦初出場

元の明るい路線に戻り、淳子らしさを爆発させました。
高校野球の甲子園入場行進曲的イメージですね。

続いてついにオリコンチャート初の1位を獲得します

0007.はじめての出来事1

桜田淳子 初めての出来事

アイドルから大人の仲間入りに大きく路線変更した曲です。
いろいろな意味での転換点でしたね。

0008.十七の夏1

桜田淳子 十七の夏

阿久悠と森田公一の後押しはなおも続きます。
この辺りから絶頂期と言っていいでしょう。

0009.夏にご用心1

桜田淳子 夏にご用心

淳子はやっぱり夏歌が似合いますね。
裏返せば、この路線はハズレがないと言うこと。
「花の高三トリオ」は一世を風靡しました。

0010.ねえ気がついてよ1

桜田淳子 ねえ気が付いてよ

やっぱり華があるんでしょうね。
少しずつ変化してきている彼女もその時その時の表現はずば抜けていたように感じます。

0011.気まぐれビーナス1

桜田淳子 気まぐれビーナス

微妙な年齢と曲。
ずっと踏襲してきた王道の路線ですが、花の高三トリオを卒業した時期ではギリギリのアイドルソングでしたが、大きなヒットを引き寄せます。
ココが桜田淳子の持って生まれた才能なのでしょう。

0012.中島みゆき1

桜田淳子 中島みゆきとの出会い

「しあわせ芝居」 「追いかけてヨコハマ」

この2曲はここで今までと全く違った領域に入り込むかの如く、大きく舵を切りました。
かなりの努力があっての成功と言えましょう。

0013.サンタモニカの風1

桜田淳子 サンタモニカの風 ナショナルエアコンCMソング

デビューからちょうど6年目 20歳
この後、小さい時から憧れていた女優の道へと進んでいきます。

0014.さなえ1

桜田淳子 やっぱりさなえだべさ

これがあるから淳子人気があったと言っても過言ではないでしょう。
雲の上のアイドル、ではなく身近に感じさせてくれました。

0015.ドリフ3

桜田淳子 ドリフで志村けんとコント

この後は小さい時からの夢でありました「女優」で開花し、大御所の俳優さんにも可愛がられ、地位を確立していきます。

桜田淳子には芸能人でもファンが多く、タモリが大ファンだったことは有名ですね。
「笑っていいとも」の「テレフォン・ショッキング」では、一人目のゲストに桜田淳子を呼びました。
その後も幾度か出演しています。
いろいろと大人の事情があり、活動を休止に入りますが、2013年5月28日、サンミュージック創業者 相澤会長の葬儀で表舞台に姿を現します。

続けて2013年11月26日 一夜限定イベントを行い、

歌手デビュー40周年記念ベストアルバム 「Thanks 40 ~青い鳥たちへ」

を発売します。
本人自薦の曲で彩られ、本人が今歌いたいと思う曲をちりばめていました。

昨今再び復帰・復活の声が聞こえて参ります。
難しい話はヌキにして、純粋に桜田淳子の歌う姿を見てみたいと思うものです。

わたくしたちが過ごした青春時代には、様々なシーンに必ず彼女がいて、彼女の歌が聴こえておりました。
高校時代の同級生とのクラス会でも、盛り上がる話の中には桜田淳子が存在します。

想い出の呼び起こし。
そこには大切にしていたものがいっぱいありました。

 

特集:桜田淳子 アイドルがアイドルであった時代

スポンサーリンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

スポンサーリンク

スポンサーリンク

ページ上部へ戻る