民芸陶器と新しい作風の融合 益子焼

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民芸陶器と新しい作風の融合 益子焼

益子焼は栃木県益子町にございます。
真岡鐵道の益子駅を中心としたやきものの街です。
蒸気機関車SLの走る街としても有名ですね。
様々な作風が楽しめる益子焼。
春と秋には陶器市が開かれます。
さぁ、汽車に乗ってお気に入りの器でも買い付けに行きますか。

【益子焼の歴史】

江戸時代末期、少年時代に笠間に預けられた際に製陶技術を学び、後に養子として益子に来た大塚啓三郎が窯を築いたことに始まると言われます。
以来、優れた陶土を産出することで黒羽藩からの保護を受け、、廃藩置県後も大市場の東京に近いことから、隆盛を極めました。
製品は土瓶やすり鉢など、素朴な土色の日用雑器がメインでした。
その後柳宗悦らと民芸運動を起こした濱田庄司が移住して作陶を開始。
その影響と、自由な風土に魅せられた若い陶芸家が益子の地に集い始め、民芸陶器の産地として一躍有名になりました。

【益子焼の特徴】

柿釉や黒釉の渋い色調の素朴さが光る日常雑器が益子焼の特徴です。
そもそもこの民芸陶器。
素敵な出会いに始まりました。
民芸陶器は江戸時代から益子で焼かれていた山水土瓶が原点です。
白く化粧して緑や茶色でさらっとのびやかな線で絵付けされた山水絵は素朴で多くの人に親しまれてきました。
その絵付師こそ皆川マスという女性でした。
気負いのないデザインは濱田を魅了させ、「用の美」への追及が民芸陶器という地位を確立させたのです。
濱田庄司に影響を与えた皆川マスの山水土瓶。
このふたりがあってこその益子焼でございます。
0009.益子焼2

濱田の功績で益子の民芸陶器も国内外で脚光を浴びてきました。
これに感化された個人陶芸家が多くおりました。
そこは「来るものは拒まない土地柄」の益子町。
若いチャレンジャー達を歓迎した結果、今では窯元も350軒を超えるまでになったのでした。
伝統的な民芸陶器だけではなく、織部風、信楽風、備前風など、多種多様の作風を輩出し、民芸と里から多彩なやきものの里へと広がりました。

使うモノから飾るモノまで、欲しい器が必ず見つかる益子の街です。
0009.益子焼4

参考文献
『やきものの事典』/成美道出版
『やきもの全国有名窯場』/南大路豊/株式会社西東社
『やきものの基礎知識』/前山博志/株式会社学習研究社
『やきものの旅「東日本」』/安藤典子/日本写真印刷株式会社
『やきものの旅「西日本」』//日本写真印刷株式会社
『中島誠之助のやきもの鑑定』/中島誠之助/株式会社双葉社

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