深夜放送のレモンちゃん セイ!ヤング 落合恵子

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深夜放送のレモンちゃん セイ!ヤング 落合恵子

作家・エッセイスト
反戦運動・反核運動に参加する進歩的文化人・・・

今の落合恵子の顔です。

が、わたくし達の落合恵子は

「レモンちゃん」でございます。

1967年、 明治大学文学部英文学科卒業後文化放送にアナウンサーとして入社しました。
深夜放送「日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌 謡曲」でパーソナリティとしてマスコミデビューした6人のうちのひとりです。
日野自動車がスポンサーなだけに、深夜トラックの運転手の方々をリスナーに想定した番組でしたが、
やはり深夜に「活動」する受験生たちも、聴取者層の大きなウエイトをしめていました。
6人のパーソナリティが各曜日ごとに担当していましたが、なかでも一番若く自称「真夜中のレモン」として喋る声は「レモンちゃん」と呼ばれて人気がありました。

やがて「走れ!歌 謡曲」の前の時間帯「セイ!ヤング」に移動すると、その人気度はさらに膨れ上がりました。
月曜日は土居まさる、
火曜日はみのもんた、
水曜日ははしだのりひこ、
木曜日はかまやつひろし、
土曜日は加藤諦三、
そして金曜日は落合恵子
その後曜日の担当はいろいろとシャッフルされます。

当時、西武園で行われた「セイ!ヤング」のイベントでは来場したほとんどの男子は彼女のファンだったと言われています。
決して滑舌が良いわけでもなく、漢字の読み間違いさえもすることもありましたが、ゆったりと静かに優しく語りかけるその喋りが人気の秘密だったのでありましょう。なんとか名前を読んでもらおうとリクエストはがきをたくさん出したモノです。

その人気の高さがどれほどのものであったかは、ラジオ局のアナウンサーをグラフ誌が「落合恵子特集」として出したことでもお判りでしょう。
現在のグラビア誌とは大きく趣が異なりますが、パンタロン姿の大人の女性と言うだけで若いわたくし達は大満足でございました。

そう、とうとうレコードも出していましたね。

「昨日にさよなら」

ご本人は歌のことを聞かれることがとても嫌だったみたいです。

「スプーン一杯の幸せ」で作家の地位を築き今日に至ります・・・

様々なジャンルで活動される彼女ですが、今もって聴きたいのはあの甘ったるく優しい口調のパーソナリティ「レモンちゃん」なのは言うまでもないでしょう。

※画像はポップレコード「昨日にさよなら」ジャケットより

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