白虎隊士も仰ぎ見ていた会津若松松平藩のシンボル 鶴ヶ城の桜

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白虎隊士も仰ぎ見ていた
会津若松松平藩のシンボル
鶴ヶ城の桜

会津若松市にある鶴ヶ城。
いまから600年以上前に築城されました。
新政府軍と旧幕府軍の戦いである1868年に始まる戊辰戦争は、難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城に松平藩のほか5500人が1か月籠城し、官軍に抵抗し戦いました。

戊辰の戦後に明治政府の命により石垣のみを残して取り壊されましたが、その後昭和に入り、天守閣が再建されたのでした。

1000本もの桜に囲まれた花見の時期は格別な風景に出会えます。

満開の桜の木越しに見上げる天守閣は優雅、優美ではありますが薄紅色の花と城壁の白さとの対比が何かはかなさを感じます。

このお城から約3km離れたところに飯盛山があります。
そう、わずか16~17歳の白虎隊20名が自刃した場所です。
この若き戦士たちは、赤く燃え盛る鶴ヶ城を見て城に帰ることもかなわぬと思い、この地で全員が自決したのでございます。
中の一人は蘇生し、この史実を後世に伝えたのでした。

鶴ヶ城を眺めるにつけ、飯盛山が必ずリンクします。
このバックグラウンドが、鶴ヶ城の桜には他にはない何かを感じさせるのでございましょう。

「花は桜木、人は武士」
そんな一節が頭をよぎります。

史跡とみるか名所とみるか
この桜は色々なことを物語っています。

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